Haraka haraka haina baraka 急ぐと神の祈りが存在しない

わが輩は、還暦である。就職面接は、滞りなく終了した。

 

朝からの小雨で家のお片づけ、特に庭周りの仕事が進まない中、面接の時間が刻一刻と迫ってきていた。書類審査をすっ飛ばし、一次面接もすっ飛ばし、いきなりの役員面接または社長面接へ向かうにはパリッとしたスーツしか選択肢はなかった。自宅から車で20分弱とはいえ、何があるかわからない。雨も降っていることだし、ここは少しでも早く出て、会社の近くで待機する作戦で行こう! と思った矢先、鞄がストーブの上の薬缶に当たり、中に入っているお茶とお茶っ葉もろとも炬燵布団の上へとぶちまけてしまった。

 

「ごめん、時間がないからちょっとこれ片づけといて」と申し訳なさ150%の顔と声でカミさんに伝えた。すぐさまカミさんから返答がある。「あ~ぁ、やかんが落ちちゃったんだ。何かの前兆なのかな?」と冗談半分で言ったようだったが、わが輩には、その言葉をユーモアで返すだけの余裕が確かにあったようだ。

 

「そうだよ。薬缶とお茶が今日の『落ちる』ことのすべてを受け止めてくれたんだろうね。よかった。ツイテるよ」と言いながらも一瞬不安がよぎったことは、カミさんには黙っておいた。「それじゃ、ちょっと早いけど行ってくるね」「頑張ってね」と普通の会話に戻り、車へと乗り込んだ。

 

だいたいの場所は、ホームページで確認済みだったことと、雨模様なのに道路が空いていたことで思ったよりも10分ばかり早く現地に到着した。会社とは少し離れた場所に車を停め、身だしなみをチェックする。履歴書、職務経歴書、手帳などの持ち物も確認したうえで、再度顔のチェック。ルームミラーで笑顔のチェックが済んだところで、いざ! 1Fの総務室へ直行だ。

 

ドアをノックすると、しばらく後に総務部の女性と思しき人が応対してくれ、応接室へと促してくれた。「お待ちしておりました。こちらでしばらくお待ちください。すぐに担当が参りますので」と笑顔で去っていく。13時からの面接だと言っていたので、あと5分は余裕がある。時間に遅れないこと。これは、いかなる仕事でも必須の心構えであることは間違いない。どんなに性格がよくても、仕事ができても、笑顔がステキでも、時間に遅れるようではすべてを失うに等しい。最初が肝心なのである。

 

と、瞑想しながら待っていたら、ドアをノックする音が聞こえ、ホームページで見た社長その人が目の前に現れた。そして、隣りには、取締役あるいはわが輩が入社できたとしたら配属される部署の担当重役を伴って入ってきた。そして、もうひとりが… 「あっ、私の紹介でと言ったその人、岡山(仮名)です」の岡山さんだった。

 

社長まで出てきてしまっては、これはどう考えても最終面接のテイである。おちゃらけたことや、迂闊なことは間違っても口にしてはいけない。さぁて、どう出てくるか…。

 

「志望動機のところに書いてあるこの仕事なんですが、業界特有の事情を理解したうえで、臨機応変にこなしていかないとならない職種なので、早くて2年、場合によっては3年かかることもあるんですよね。そうした場合、あなたの年齢からしたら、ちょっと難しいように思うのですが、如何ですか?」ノッケから社長の厳しい質問が飛び出した。

 

この職種に応募しなさいと言ったのは、紹介いただいた岡山さんから聞いたもので、ホームページをみても、この仕事しか該当する求人がなかったので、書いたまでである。わが輩の年齢は事前に伝えておいた上で、問題ないとは聞いていたが、これから2~3年かかるとは初耳である。ましてや、最初から社長が出てきて、この質問をするとも聞いていなかったので、今から思うと、ただ金魚のように口をパクパクと動かしているだけのおじさんが汗をふきふき、そこに座って恥ずかしい姿をさらしていただけのように見えたかもしれない。

 

しばし茫然としていると、この状況を見るに見かねた岡山さんが横から助け舟を出してくれた。

 「それは、きっと私がこの職種で応募してくださいと言ったから、書かれたんですよね。実際に仕事の種類としては、まだ別のものもあるんですが、サイトに書くにはあまりにも複雑すぎて説明していなかったんですよ。ですから、これからいろいろとお尋ねして、あなたに合った仕事があるか検討していきたいと思うのですが…」

 

岡山さんのステキな提案に、図らずも安堵のため息が出た。「えぇ、その通りです。そうしていただけると有り難く思います」

 

岡山さんからのわが輩への質問と、いくつかの提案をまとめると以下のようになる。

 

・フルタイムが希望ということだが、それは、どうしても外せないのか? パートタイムでは難しいのか?

・うちは60歳が定年なので、これからは、1年ごとの更新になるが、それでもいいか?

・力仕事(といっても、重いものを長時間持ち運ぶというほどのものではない)は可能か?

・朝早い仕事でも大丈夫か?

 

そして、提案のほうは…

 

・応募した職種以外でやるとしたら、資格が必要なものもある。その際には、こちらで費用は面倒みるので資格を取得する気持ちがあるか?

・部署を跨いでの仕事だったら、フルタイムの仕事を用意できないことはない。調整にしばらく時間がかかるかもしれないので、待って欲しい。

 

わが輩からも質問がないかと訊かれたので、以下のようなことを尋ねた。

 

・フルタイムでないと年収が想定していたよりも低くなるかもしれない。その場合、別の会社の仕事をしても差し支えないか?

・もし差し支えないとしても、わが輩としてはこちらの仕事でなんとか想定年収を賄えるような仕事を算段していただくのが一番よい。

 

20分あまりの面接時間ではあったが、お互いに聞きたいことは聞けて、概ね満足した様子だった。社長は最後まで、「あなたがもっと若かったらねぇ。あなたのような経歴の人は、ウチにはもったいないような気がするんだけどね」と、若いころから面接のたびに浴びせられた言葉を繰り返し言われた。幸齢者にやさしい会社であって欲しいな。だって、社長自身がすでに幸齢者なのだから。じっくり待つしかないか。

 

Haraka haraka haina baraka(ハラカ ハラカ ハイナ バラカ)

急ぐと神の祈りが存在しない(スワヒリ語のことわざ)

賽は投げられた!

わが輩は、還暦である。今日は、就職面接だ。

 

えっ? いきなりですか? とこれを読んでいるあなたはきっと驚かれているに違いない。ということが、わが輩にはわかる。うん、ものすごくわかる。だって、この話、今初めてするのだから…。

 

遡ること5日前。カミさんの仲の良い友人から2カ月以上も前に、ある職場で人を探しているのだが誰かいないだろうか、と話を持ちかけられていたらしい。そのときには、咄嗟に思い浮かぶ人はいなかったのだが、今となったら、「うちの旦那がいるじゃない!」と閃き、わが輩の名前で求人のメールフォールに必要事項を記入して応募したという次第。カミさんの名誉のために言っておくが、勝手にメールを送ったわけではなく、運転中の出来事だったゆえ、わが輩の口述筆記でわが輩の了解のもとに送った次第である。

 

その際、わが輩の電話番号とメールアドレスを記載していたにも関わらず、翌日になっても何も音沙汰がなかったので、電話をしてみなさいとカミさんに急かされた。ホームページの募集要項一覧にメールフォームまでありながら、何も連絡をしてこないということは… これまでの経験上、そんなことは皆無である。一般常識からしたら、連絡があった人のところへは飛んでいきたいくらいの勢いがあっておかしくないはずだ。それとも何かしらのトラブル真っ只中か。それだったら、メールを送ることすらできないはずだが、何の問題もなく送れたよう(にみえる)だった。

 

先方から連絡があるまで忍の一字でとにかく待つ。というメンタリティを持ち合わせていないので、電話するしか手段が思いつかない。いったいどんな会社なのか? 勇気を持ってダイヤルしてみる。総務部の年配女性と思しき人が電話を受け、担当者に繋いでくれる。これまた年配の男性が出られて、いきなり違う部署への応募であるか否かを問われる。そうか、この会社は、今、その部署の人材が不足しておるのだな、なるほど、そうか、だが、わが輩は、別の部署に用事があるのだ。ふふふ。

 

と、ひとりで不気味な雰囲気を醸していた(とはっきり断言できる)ところ、「では、近々ですと、祝日明けの水曜日、午後イチあたりは如何でしょう?」と尋ねられたので、「はい、それで結構です。何か持参するものはありますか?」とわが輩。「手書きの履歴書と職務経歴書をお持ちください」と担当者。「はい、かしこまりました。それでは、当日宜しくお願い申し上げます」と、いう見事な流れがあって面接の日を迎えることとなったのである。

 

これはもう必死になって仕事を探している年配のおじさんと、そんな崖っぷちのおじさんですら笑顔で面接しまっせ的な優しさいっぱいの会社をアピールする担当者。買い手市場の時期だったならばとうていこうはいかなかった。年齢を気取られた時点で、『地雷を踏んだら、さようなら』であったろう。そして、今回わが輩は、フリーで電話をかけてきた人とはまったく立場が違っている。その会社に勤めている人の紹介であるというのは、普通に考えたら最大のアピールポイントであろう。

 

カミさんの友人からは、岡山さん(仮名)の紹介だと電話口で言ってね。と念を押されていたので、その旨伝えたところ、すぐに面接OKとなった。わが輩は、その担当者に「岡山とどのようなご関係ですか?」と訊かれはしないか、内心ビクビクしていた。女性は、このようなことでビクビクするような脳と心臓を持っていないから羨ましいほどだ。男はみみっちいなぁ。

 

さらにビクビクがビクビクを呼び、そもそもその人自身、会社の中でどのような役職にあるのか、あるいは、どのように評価されている人なのか、初期情報がまったくないからビクビクが止まらないのである。ビクビクを抑えるために、もっとあれが、いや、これが、ノンノンそれが! と何が何やら、事件はいったいどこで起きているのか?

 

ともあれ、ガイウス・ユリウス・カエサルでなくとも「賽は投げられた!」と言いたくなってくる。

考えるな、感じろ!

わが輩は、還暦である。今日は、履歴書を書いている。

 

先日の派遣会社からメッセージが来て、エクセルで作成した添付の職務経歴書のひな型を参照し、返送してほしいとのこと。履歴書についても市販の用紙に手書きではなく、デジタルでOKだそうだ。手書きだと間違うわけにはいかないから慎重に書き進めなければならない。ワードでいいなら参照用に以前から作成していたものがあるから、これをコピペすればいい。

 

履歴書、職務経歴書がらみの作業を短時間で終えることができるのは嬉しい。特に、手書きの癖を読まれずに済むのが本当に嬉しい。正確に読んでくれるのなら、もちろんそのほうが望ましいことではあるが、その会社におけるよくないほうの前例と照らし合わせて、大体こんな性格だろうで片づけられてはたまったものではない。

 

しかし、手書きの文字というのは、どうしてあんなに性格が正確に現れるのだろう。みみず文字系の私は、優柔不断さを見事に言い当てられ、おそらくそのような烙印を押されてしまう。書類審査をパスして、面接にまで漕ぎ着ければどうにでもなると楽観視しているが、いかんせん、その書類審査が通らない。みみず文字のせいとばかりはいえないが、これまでは、けっこうな比率でみみずが活躍していたような気配が濃厚であった。

 

では、今回はどうであろう。ワードでOK。ふぅむ。その仕事に必要な「前向きな性格」や「責任感のある態度」、または、「協調性」は、どうやって判断されるのだろうか。これから若い人たちを束ねて、リーダーシップを発揮しつつ、バリバリ働くわけではないから、一般常識が備わっていて、コロコロ職を変えてきた実績が見えなければきっと問題なく採用されるであろう。

 

が、しかし… これまでに就いてきた仕事の数でいえば、コロコロ系と大差ない。それぞれの期間こそ、長いものもあるから一概にコロコロ系とは言えないだろうが、見方によっては、「堪え性がない」と判断される可能性は大であろう。転職回数が多いのは、「先見性」があるわけでも、「危機管理能力」が高いわけでもなく、ただ単に「気が短い」か「独りよがり」だったこれまでのわが輩の自己評価である。

 

われながら忍耐強いと思っていた時期もあったと思うが、転職する勇気がなかっただけの話。還暦を迎えてしまった今は、自己をどのように評価し、次の仕事へ確実につなげていくためにどうしたらいいのだろう…。

 

う~ん、悩む。これまでの過去を捏造するわけにもいかず、かといって、脚色するのも捏造と同じニオイがしてボツ。長期に働いていた会社だけを列挙しようか。あっ、そうしたら、「働いていない期間がところどころ、ありますが、どうされたんですか?」と、間引いて書いたことがバレてしまう。というより一目瞭然だ! う~ん、こんなところで時間を食っていたら、派遣会社より先に書類が届かないではないか。急げ、急げ!

 

「あなた~ぁ、お風呂入らない? 気分転換しないと煮詰まっちゃうわよん」と、遠くからカミさんの声がする。

 

次から次へといろいろなビジネスアイデアが湧いてきて、すぐに事業化でき、仲間もどこからともなく集まってきて、毎日が楽しくて仕方がない。

 

カミさんの、神様(かみさん)たる所以である。

 

能天気な気分転換の方策も、考えに考え抜かれたものであるに違いない。と、書いたところで、ブルース・リーがわが輩の目の前に突然現れ、決め台詞(ぜりふ)とともに去っていった。

 

「考えるな、感じろ!」

 

はい。ブルース。熱いお風呂を堪能してきます。

派遣会社からの連絡

わが輩は、還暦である。仕事は、まだない。

 

今日も鋭意休職中! とは云っても、先月末まで勤めていた職場から離職票がまだ送られてきていないので、ハローワークへ行くでもなく、経費節減のために無料の求人雑誌を手に入れてきて眺めるでもなく、もっぱら自宅のパソコンでネットの求人案内をチェックする毎日である。

 

わが輩が住んでいるエリアには、4~5誌ほど求人誌が存在する。最寄りの駅の改札口付近や、本屋の店先などに置いてあり、気軽に持ち帰れるのがうれしい。かつては、通勤の行き帰りに必ずといっていいほど各最新号を鞄に忍び込ませ、自宅で目を皿のようにして自分を迎えてくれる企業が現れるのを待ち望んでいたが、仕事があるときにはあまり真剣には見ていないもので、これはと思う企業がなかなか目に留まらなかった。

 

失業した現在ではどうか? おそらくさらに真剣度が増してきていることは間違いないと思うが、還暦を迎えていることで、有効求人数(自分が応募できる企業の数)がかなり減ってきていると察せられる。年齢、性別、学歴不問。という言葉を真に受けてはいけない。わざわざそう書かれているということは、それらを問題にしているぞ! という裏を読まなければならないことは、若き日の求職活動で嫌というほど思い知ったではないか。

 

そして、今は、便利になった。自宅に居ながらにして欲しい求人情報が好きなだけ、得られるようになったのだ。もう毎日、これでもか、これでもかとシニア(60代)に絞った求人メルマガが、早くどこかの企業に決めてね! とばかりにやってくる。

 

一昨日、ある業界に特化した人材派遣業会社の登録募集を目にした。給与の額が尋常ではない。ということは、営業系か、若しくは、歩合制か? 条件を上から順番に見ていくと、そのどちらでもなく、単に需要がある業界のため、仕事は後を絶たないのでご安心くださいと書かれてある。さらに、入社祝い金なるものも3か月無事に勤めることができたときには、出るとのこと。

 

あとは、やっぱり年齢だな。

 

普通は定年間際でリストラに遭うか、定年になる年齢だとわかっていて、これから就職しようと思っている「わが輩に恥はない!」さらに絞って、本当にその年齢、その経験、そして、あなたがいいから選んだに決まっているではないか! という企業を探すのだ。あまりじっくりとは探していられない。できれば、早急が望ましい。が、焦りは禁物である。

 

ええい、ままよ! 

 

勇気を持って先の人材派遣会社にエントリーすることを決意し、ガイダンスに従ってメッセージを入れる。滞りなく次の項目が現れ、必要事項をすべて入力し終え、エンターキーで送信。自動返信メッセージがすぐに返ってきて、「担当者より連絡させますので、今しばらくお待ちください」を確認する。

 

昨日、担当者より本当にメッセージが来て、「明日、お電話したいと考えていますが、何時頃がよろしいでしょうか?」に、「本日、15時以降でしたら大丈夫です」と返信。そして、すぐに「そうしましたら、15時にお電話いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」で、本日の電話を待った。

 

本日15時。

 

約束通り15時ちょうどに着信があった。お互いの自己紹介に始まったのち、条件面をいくつか聞かれた。通勤時間はどのくらいがいいですか? 通勤方法は? 夜勤はできますか? 残業は可能ですか? いくらぐらいの給料がお望みですか? などと尋ねられたのち、「それでは、のちほど、職務経歴書と履歴書のフォーマットをお送りしますので、早めに返送くださいね。本日は、貴重なお時間本当にありがとうございました。これからよろしくお願い申し上げます」。

 

時間にして、わずか10分ほど。それでも気が遠くなるほど長時間話していたような気がする。本当に今から派遣会社にエントリーできるのか? そして、希望条件に近い企業が本当に存在しているのか? 心の中では、還暦からのスタートを嘲笑されていやしないのか? 疑えばキリがないことばかり……。

 

Tomorrow is another day!

 

明日は、きっと待っているぜ。

 

 

国民健康保険と会社の健康保険

前回、ブログを書けたことがともかくウレシクて、内容もよく確認しないままにアップしたところ、一番の読者である家内からお叱りを受けた。

 

「個人の意見や、書き方のことは何も言わないけど、法律的なことや、社会的なルールを間違ったままにブログに書くのは読んだ人のためによくないよ。もちろん、あなたのためにもね」

 

「えっ? 何か間違ったこと書いた? 」

 

「あなたは年金問題と健康保険のことを混同しているわ」

 

「ええっ? それはどういうこと?」

 

という問答に始まり、2時間に渡って詳しく説明を受けたところ、還暦にもなって、そんな基本的なことすらよくわかっていなかったということがよくわかった。ならば、早速書き直してやろうじゃないかと思ったものの、やり取りに疲れ果て、翌日にはきっちり書こう! と思い直しながら床についた。

 

翌朝、家内のこんな言葉で目が覚めた。

 

「余計なおせっかいだと思ったけど、私なりにあなたの書いた文章を書き直したから、読んでみてね。もちろん、必要なところだけ自分なりにアレンジして構わないからね」

 

なんと、優しいお言葉だろう。家内のことはこれからかみさん(神さん)と呼ぶことにしよう。かみさん、ありがとう。

 

以下、かみさんが直してくれた文章。

 

わが輩は還暦である。名前はあるが、仕事はない。 1月末で1年2カ月働いた職場を辞した。 59歳で久しぶりの正社員の職を得て、1時間弱の電車通勤も読書タイムを満喫した。 が、しかし、体か頭が動かなくなるまで働くつもりだった職場にはついに馴染むことが叶わず、再就職めざして東奔西走する日々を選んだというわけである。妻よ、苦労かけるな、すまぬ。

 

以前、勤めていた職場を退職し、これはと思った企業の求人に応募したものの、20通弱の「このたびは、貴意に添えず、まことに申し訳ありません」で始まる書き出しの不採用通知を受け取った若き日のことが甦ってきた。40歳だった当時ですら再就職は難しい年齢だといわれていたことを鑑みると、このたびは、さらに難しいことは目に見えている。それでも、年金を受け取れるまでは5年弱を働いて過ごさなくてはならない。そして5年後も年金だけで生活することが困難であることは明白である。

 

本日、退職にあたり、厚生年金から国民年金、職場の健康保険から国民健康保険の手続きに妻と市役所へ行ってきた。 まずは年金から。話を聞いているうちに、あなたはすでに還暦を迎えているので、もう年金は払わなくもいいと言われ、びっくりした。

 

「そうなんだ。やっぱり本当に還暦になったら年金を払わなくもいいんだ」

 

と改めて納得した。 厚生年金の場合は、70歳まで払うことができるが、国民年金は60歳までとのこと。還暦を過ぎても厚生年金を払い続けていたので、年金は払うものとばかりに思っていたが、「そういうことだったんだ、なるほどね」と自分自身に問いかけながら、親切にいろいろと教えてくれる係員の話に耳を傾ける。

 

もう払わなくても良いなら、良かった…と思っていたら、空かさず妻が、 「この人、年金払ってない時期があるんです。遡って払う事はできますか?」と聞いた。 480月(20歳~60歳で計算)に満たない場合は、5年間は遡って払うことができますが、5年分約100万円を支払ったとして、果たしてもらえる年金がどのくらい増えるかを計算してみられたらどうですか?と。

 

早速に年金事務所に連絡を取って、これまでの支払額を問い合わせてくれた。 その返答を受け、次々に新たな提案してくれる。 結果、年金事務所に電話を入れ、3日後のアポが取れた。ここでさらに詳しく話をきいてみて、これまで免除になっていた年金をいつまで払うべきかを相談することにした。

 

くだんの係員曰く「国の法律もコロコロ変わることですし、いつ亡くなるかも関係しますね。長生きすればするだけたくさんいただけるのですが、いつまで生きるか、先のことは誰にもわかりませんからね…」

 

20歳から58歳の今日まできっちり年金を払ってきていると誇らしげな妻は、失業者の扶養家族として年金免除申請と、クレジットカード払いの用紙をもらっていた。

 

「年金もカード払いができるようになったから、マイレージがたまるのよ!」

 

普段はぼーっとしているが、こういう事はしっかりしている頼もしい妻である。 「健康保険の方は、 職場を辞めても2年間は、そのまま職場の健康保険を使える制度があって、人によっては、国民健康保険に移行せずにそのまま職場の健康保険払を選択する方もいらっしゃいます。ただ、これまでは会社が半額を負担してくれたわけですから、払う額は倍になりますね」

 

そうか。倍の額を払っても国民健康保険よりも職場の健康保険の方が安いのであれば、その方が良いな。会社に問い合わせてみると同時に今後の国民健康保険の支払い額を調べてもらった。 国民健康保険の方の2月と3月分は、月々3,150円で3月中旬に2ヶ月まとめて支払うことになるそうだ。

 

会社の健康保険は28,150円 月々支払わなければならない。 すぐに国民健康保険に切り替え手続きをした。 4月からは一年間の年収から計算した保険料が請求されるらしい。 現在無職で収入がなくても、容赦なく前年度の収入があれば、支払わなければならないそうだ。 窓口で相談したら、分割払いも応じてくれるそうだ。ただしその時は利息を取られるのである。 どこまで取り立てるつもりなのか…

 

還暦リボーンの旅は、始まったばかりだ。

国民年金と厚生年金

わが輩は還暦である。名前はあるが、仕事はない。

1月末で1年2カ月働いた職場を辞した。

59歳で久しぶりの正社員の職を得て、1時間弱の電車通勤も読書タイムを満喫した。

が、しかし、体か頭が動かなくなるまで働くつもりだった職場にはついに馴染むことが叶わず、再就職めざして東奔西走する日々を選んだというわけである。

 

40歳のときに、以前勤めていた職場を退職し、これはと思った企業の求人に応募したものの、20通弱の「このたびは、貴意に添えず、まことに申し訳ありません」で始まる書き出しの不採用通知を受け取った若き日のことが甦ってきた。当時ですら再就職は難しい年齢だといわれていたことを鑑みると、このたびは、さらに難しいことは目に見えている。それでも、年金を受け取れるまでは5年弱を働いて過ごさなくてはならない。それでも年金だけで生活することは困難であることは明白である。

 

本日、厚生年金から国民年金への手続きに市役所の出張所に伺って、話を聞いているうちに、あなたはすでに還暦を迎えているので、もう年金を払わなくもいいと言われ、びっくりした。「そうなんだ。やっぱり本当に還暦になったら年金を払わなくもいいんだ」と改めて納得した。

 

厚生年金の場合は、70歳まで払うことが義務づけられているが、国民年金は60歳までだとのこと。還暦を過ぎても厚生年金を払い続けていたので、年金は払うものとばかりに思っていたが、「そういうことだったんだ、なるほどね」と自分自身に問いかけながら、親切にいろいろと教えてくれる係員の話に耳を傾ける。

 

「それじゃぁ、どうしましょうか? 職場を辞めても2年間は、そのまま厚生年金を払い続けることができる制度があって、人によっては、国民年金に移行せずにそのまま厚生年金を払うことを選択する方もいらっしゃいます。ただ、これまでは会社が半額を負担してくれたわけですから、払う額は倍になりますね」

 

そうか。倍の額を払っても厚生年金のほうが、あとあと有利になるんであれば、それもいいけど、そうでないなら国民年金にすぐさま変えるというのでもいいではないかと逡巡していたら、係員は、すぐさま次の説明を続けてくれる。と、同時に年金事務所に連絡を取って、自分のこれまでの支払額を問い合わせ、その返答を受け、次々に新たな提案してくれる。

 

結果、いったんは、国民年金に移行することにして、年金事務所に電話を入れ、3日後のアポが取れた。ここでさらに詳しく話をきいてみて、これまで免除になっていた年金をいつまで払うべきかを相談することにした。くだんの係員曰く「国の法律もコロコロ変わることですし、いつ亡くなるかもね。先のことは誰にもわかりません」

 

還暦リボーンの旅は、始まったばかりだ。